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プロフィール
kobokobo
小堀美奈子 1966年 沖縄生まれ 
1988~2002年 日本トランスオーシャン航空(株)客室乗務員・訓練課・キャビンチーフ
2003年 金城幸政氏の秘書・講師となる
2007年~ 円隣企画設立

航空会社の客室乗務員として入社後 訓練課 キャビンチーフとして人材育成に携わる。社会人として「人・女性」を 育てること 子供たちの未来を創るのは 母親・女性 であるということを痛感。 現在、円隣企画において 「親力と楽笑子育て」「人間力アップセミナー」「女性セミナー」の講師をしています。  「自分らしい生き方」を提案しています。
一女二男の母でもあります。 楽しい子供との関わりを通し 人間力を育む関わりを 女性としての生き方を 率直にかいてゆきます。   
てぃーだブログ › Life is beautiful 

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Posted by TI-DA at

2013年02月19日

講演会のお知らせ











講演会「子育て革命」
4月28日 日曜日
14:00〜16:00
♪浦添市てだこホール 大ホール
料金 前売り 2.000円 当日 2.500円
チケット
☆ファミリーマートにて3月25日より発売
☆主催 円隣企画 0988961026
☆HP http://enrin.co.jp
  


Posted by kobokobo at 14:45Comments(0)

2013年02月16日

十三祝

今日は息子、平就の十三祝でした。
小学校の五年生全員でのお祝い!します。
五年生の余興も盛りだくさん、先生からは終わりはじまりの合奏あり
先生、両親、地域、みんなに見守られてスクスク育った五年生達!あっという間にこんなに頼もしくなった全員の姿を観て涙腺ゆるみました。
トドメは両親への手紙
ダメ!
息子も頼もしくなりここまで健康で明るい成長振りにありがたいの一言です。
*\(^o^)/*





iPhoneから送信
  


Posted by kobokobo at 15:27Comments(0)

2013年02月12日

2月12日の記事

沖縄産
綺麗です。




ブログほとんどアップしておりませんが、毎日来てくれている方ありがとうございます。


  


Posted by kobokobo at 18:24Comments(0)

2012年10月12日

あなたの秋は何ですか?











あなたが秋を感じる瞬間は
何ですか?

私は、朝 起きて
ホットティーが飲みたいと
思ったとき

そして、BGMは、
Enyaが聴きたくなります。

温かい紅茶を飲みながら
少し、涼しくなった空気を肌で感じて

秋だなぁとシミジミします。

みなさんの秋だなぁは
何ですか?

ちなみに、主人に聞いたら
息子が、朝、抱きついてきたら…
ですって
私ぢゃないところが( i _ i )オチです。






☆www//enrin.co.jp でも、日々の円隣ブログアップしてます〓
今回は、むすめの胎内記憶を書きました。みてね。


  


Posted by kobokobo at 07:40Comments(0)

2012年08月31日

できたぁ!

最近の私はEnRichエンリッチ
制作で頑張ってますよ。


皆様、EnRich 9 号
湯気がたってます。
お母さん新聞の 藤本裕子さんのインタビュー記事

今回の
特集テーマは
生きるために 生きる

私も記事 書いてますよ。

詳しいことは、
円隣企画
www.enrin.co.jp

カートからどうぞ!
また、日々の円隣ブログでは、ブログ書いていますよ。








  


Posted by kobokobo at 13:05Comments(0)

2012年06月21日

ウルトラマンは 終わったの!


















私には東京に嫁いだ3つ年上の姉がいます。
今から、18年前に
アメリカのロスアンゼルスで、長男を出産しました。

私にとっては初めての甥っ子
まだ、独身でもあった私は
産後のお手伝いへ 仕事を休み、ロスまで追っかけした程です。

幼い頃の 夢の一つは保母さんでした。
とにかく、子供の頃から 赤ちゃんが大好きな私
姉の子供といえば可愛さひとしおです。

年に数回、甥っ子に会いに行っていました。
甥っ子のたくちゃんが、3才の頃
ウルトラマンに夢中でした。
絵本、ビデオ、人形色々なおもちゃを集めていました。

久しぶりにたくちゃんに会いに行く事になり、
とにかく、たくちゃんを喜ばせたくて、ウルトラマンのおもちゃを
買い沖縄から東京に会いにいきました。

どんな顔するかな・・たくちゃんのリアクションを考えると
もうそれだけで、嬉しくてなりません。

半年振りに会うたくちゃんは 大きくなったかな、
お話も上手になったんだろうな…
などなど 飛行機の中で色々なことを想っていました。

飛行機を降り立ち
いざ、電車で姉の自宅へ

久しぶりに会うたくちゃんは
「ミナちゃん!会いたかった」
と2人でハグをして
私は、とにかく、たくちゃんを喜ばせようと

沖縄から、持って行ったお土産を
手渡しました。

久しぶりに会うたくちゃんは
とっても、おしゃべりになっていました。

プレゼントの中身を 早く見たい
たくちゃん
でも、手元は慌てていることもあり
なかなか 上手に開けることが出来ません。

ようやく、包装紙からのぞいた中を見て
たくちゃんは
「なんだ、ウルトラマン」
いきなり、包装紙を破くのをやめたのです。

私「⁇ たくちゃん ウルトラマン好きだったでしょう?」

たく「ミナちゃん!あのねぇ ウルトラマン終わったのぉ〜今ね、
〜レンジャーな わけ わかる?』

私は、目の前の言葉が理解できません。
ウルトラマン・オ・ワッ・タ・ノ・・・・

そこで、私の姉もすかさず
「そうなのよぉー ミナちゃんウルトラマン終わったのよ」

おいおい、姉ちゃん「ありがとうじゃないんかい」と心の声も
ありつつ・・ようやく


「あっ‼ そうだよね。 終わったんだぁ」


私は、なんだか 残念 と思うどころか

メチャクチャ嬉しかったのです。

「終わった」といえる
たくちゃんの 真っ直ぐな言葉に感動すら覚えました。

素敵だな・・本当に感動したのです。

私「そうだよね。たくちゃんから欲しい物、聞かなかったね。
今度からちゃんと聞くね」

たく「うん、今度 来るときは 聞いてね。
ミナちゃん次は〜レンジャーだよ」

今、セミナーでは「忠実性」のお話しをしていますが
今の状態に「忠実」いるとは、
まさに!!!!「終わったの」しか
言葉が見つからない よね。


大人になってしまうと 社交辞令で
欲しくない物でも それこそ「終わった」物でも
相手の気持ちを 気遣い
自分の気持ちを確認することもなく
「あー、ありがとう 欲しかったのよ」
みたいな・・・ことやってますもん。

私は、ホンの数分の対話で
子供の純粋な言葉が
心地良く 突き刺さり
そして それこそ私の社交辞令が「終わった」のです。

大切な認識も ガラリと変わったのです。

「終わった」といえること
潔さは 人の美しさです
人は、変わること 変わり続けること
また、変わらないこと
正直な対話の 心地の良さ

3才のたくちゃんから
あるがままの素晴らしさ
人としての率直さ 素敵さを 学んだのです。


終わることは 変わること
変わることは 結果
新しい自分が 始まることでもあるのです。
人として
本当に 何が大切なことか!

自分自身の 今の気持ちを大切にすること
自分を感じること

大人になると、赤が好きって言ったら
ずっと「赤が好き」って
言わなきゃいけないと 頑なになっている所がありますが、

今の気持ちに しっかりと寄り添う私でいたいのです。

ここ最近、私に「ふさわしい」
ということが 円隣では流行っていますが

私にふさわしい ということは
やはり 心地がしっくりと来るのです。

私に「ふさわしい」場所・心地・会話・ファッション
人・食べ物・私にまつわるすべてです。

上から目線の ふさわしいという
とっても無理した感じではなく
(そもそも、緊張するような場所。人。言葉 は、無理してますから)

あるがままに居られることが
ふさわしいであり
「ウルトラマンは、終わったの」
は、私の大切にしている 言霊なのです。


皆さん、私の「〜終わったの」にはご注意を!


円隣企画 HP にて 日々の円隣ブログ クリックして下さい。
毎週水曜日! ブログUPしてます!
www.enrin.co.jp



  


Posted by kobokobo at 13:59Comments(0)

2012年05月09日

ご訪問ありがとう!










ブログをアップしていないにも関わらず
ご訪問ありがとう!(^O^)/ございます。
円隣企画HP 毎週木曜日
日々の円隣ブログにて
ブログアップしています。

現在、EnRichという本を発行しています。
胎教、子育てから人間関係を良くする
また、社会人として人間力をつける
人の生きる、について
楽しく読んで為になる実用書をお届けしています。
詳しいことは、円隣企画HP見てね。
(^O^)/
  


Posted by kobokobo at 21:33Comments(0)

2012年02月23日

久しぶり














なんと

一月から、ブログは休眠してましたが、

www.enrin.co.jp

の中で、日々の円隣ブログで
書きはじめましたよ。

とりあえずのぞいてくださいね。

面白い仲間とやってます。
  


Posted by kobokobo at 11:52Comments(0)

2012年01月02日

朝日!











今日は、早起きして
へいちゃんと2人 南城市へ朝日を拝みにいきました。


風が強〜くて 寒かったけど
やっぱり
朝日は美しかったです。



今年は 笑い溢れる 素敵な一年にしましょう。

  


Posted by kobokobo at 13:53Comments(0)

2011年12月25日

12月25日の記事





焼きました。
ローストチキン


久しぶりに家族全員のディナー!


ローストチキン
皮はバリパリ!納得の味


久しぶりシャンパン、シャルドネ香りがいい\(^o^)/


めちゃくちゃ、チキンにあいます。



テレビも、BGMもなく
家族団らん、会話にはまったく困らず
うるさいぼと
ありがたーい、ささやかな時間です。


皆様も素敵な時間を

  


Posted by kobokobo at 21:56Comments(2)

2011年12月21日

自作自演!名女優




















孤独は好きですか?
私は、一人はいやだと 人と仲良くするために
と 自分を偽っていきた時期があります。

真っ直ぐ、自分をすると、理解されない
人と話を合わせておくと、とりあえず、繋がっているような気がする
そんなの 自分らしくない
でも 独りきりは嫌だ

だから、他者との協調性ラインを選ぶ
仲いい感じ・・・でも なぜか 虚しく、空しい

この埋まらない心地は何?
でも 独りは嫌だ その繰り返し・・・


私は、どうせ私の事なんか 理解する人はいない!怒りマーク
という
いじけたベースで 生きてきました


実際に 孤独はつきもので、
だけど、孤独が 死ぬほど 怖くて



「どうせ、自分を理解する人はいない!」


ある日、ハッキリと自分がそう思っている・・・・と気がつき


当たり前 自分自身がそう想っているから
その孤独を引き寄せているんだと
わかりました。
自分自身のいじけた考え方を 転換しました。


それと同時に、空しさは、自分が自分自身の本音を置き去りにするから
本当に さみしいんだと知りました。当たり前 孤独です。


自分の事を理解すると、自分以外のほとんどの人が
その パターンを持っていると
理解できます


孤独をいやだと


自分から独りきりになる 状況をつくり 声を掛けてもらうのを
待っている・・・・


ほとんどの人が 同じスチュエーション、待っている状態なんで
誰にも声を掛けてもらえず


やっぱり、私の事なんか理解する人はいない!


を繰り返すのです。


これって、自作自演ですから


さっさと辞めて 自分から友達に心開きましょう。


気づいた時は、私・・・爆笑しました。


自分の不幸パターンは、自身が創っています。

あー、残念!!!!


誰に理解されなくとも 自分は自分を一番に理解する人でいること
それが 自分を孤独から 自分を救う
一番の愛だと思っています。

今、私は、独りきりになったとしても
孤独では ありません。とても幸せです。
なぜなら、自分自身と共にいるから

これは、究極の幸せです。
そして、自分の命のマナーだと気づきました。

この心地に なると 本当に平和です。
すべての人が たどり着くべき終着点です。






  


Posted by kobokobo at 23:00Comments(1)

2011年12月03日

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
モナ・シンプソン (Mona Simpson)
2011年10月30日

私は母子家庭の一人っ子として育てられました。
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。

私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。

私は当時、ニューヨークで処女作を書こうとしていました。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
ある日、弁護士が私に電話をかけてきました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
時は1985年、そこは新興文芸雑誌の事務所、
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。

初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。

私たちは長い散歩をしました。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
彼はコンピュータ企業で働いていると言いました。

コンピュータのことはあまり知りませんでした。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。

コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。

スティーブは、そのときまで待ったのは良かったと言いました。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。

これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
三つの期間、合計27年間に渡って、私は彼を知っています。
期間を区切るのは年数ではなく、生き様です。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。

スティーブは自分の愛するものを仕事にしました。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。

とても単純ですが、本当のことです。

彼は散漫の対極のような人でした。

彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。

彼はAppleを追い出されて、つらい時期を過ごしました。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
スティーブはそこに招待されなかったのです。

彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。

スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。

イノベーターにしては珍しく、スティーブは物事に忠実でした。
シャツが気に入れば、同じものを百枚注文しました。
パロアルトの家には、黒いコットンのタートルネックが、
おそらくこの教会にいる全員分はあると思います。

彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。

彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」

スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。

彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。

パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。

愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
彼はいつも、一緒に働く人々の恋愛生活を気にしていました。

女性が気に入るかもしれない男性を見つけると、
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。

彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」

リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。

リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。

ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
愛はいつでも、どこでも発露するものだと彼は信じていました。
スティーブは皮肉や冷笑や悲観とは無縁でした。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。

スティーブは若くして成功した人でした。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。

彼らの家には押し付けがましい美術品などはありませんでした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
ブロッコリー。
旬の野菜。
簡単な調理。
とれたてのハーブなど、適切なものを適切なだけ。

若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。

家族が会社に電話をしたときには、秘書のリネッタが
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。

リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
スティーブ、ローリン、エリン、イヴも魔女になりました。

彼らはキッチンの改装に取りかかったことがあります。
何年もかかりました。
そのあいだガレージでホットプレートを使って料理をしました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
バスルームは古いままでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
スティーブは目利きでしたから。

彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
パロアルトの自転車屋に行って店内を眺めて、
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。

そして実際、買いました。

スティーブは謙虚でした。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。

彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
それまで知らなかった美術家を知ってから、
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。

スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?

彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。

四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。

彼は幸福を大事にしました。

そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
それまで彼は、パリを散歩するのが好きでした。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
スキーでなめらかに滑降しました。
ドタドタとクロスカントリーをしました。
もうできませんでした。

最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。

ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。

兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
彼は毎日歩みを数え、毎日より遠くまで進みました。

ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。

「あなたならできる」と彼女が言うと、
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。

彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。

その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
目標をさだめていたのです。
息子リードの高校卒業、エリンの京都旅行、
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。

病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
トレイシー、アルチュロ、エラムです。

スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
私たちは標準的なICUユニットにいました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。

「これが特別治療だよ」と私は伝えました。

彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。

挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
新しい液晶とX線装置を設計しました。
特別さが足りないと言ってユニットをもう一度描き直しました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。

一生のお願いだから、頼む、と彼はメモ帳に書きました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。

彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。

私たちは自分が何年生きられるか知りません。
スティーブが健康だったころには、その最後の数年にも、
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
三人の娘はまだ結婚していませんし、二人はまだ女の子です。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。

私たちはみな、最後には、途中で死にます。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。

ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。

二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。

火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。

彼がさよならを言おうとしたとき私は引き止めました。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」

「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」

着いたとき、彼はローリンと冗談を言い合っていました。
毎日一緒に暮らしてきた夫婦のように。
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。

昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。

そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。

呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。

これが私が学んだことです。
彼はこのときにも努力していたのです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。

彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。

フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。

彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。

やらなければならないことでした。
彼はいまだに、厳しいハンサムな顔立ちをしていました。
絶対主義でロマンチストの顔立ちをしていました。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。

山を登っているようでした。

その意志、その使命感、その強さと同時に、
そこにはスティーブの不思議を求める心、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。

その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
それは三度繰り返す単音節の言葉でした。

船出の前、
彼は妹のパティを見て、
子供たちをゆっくり見て、
人生の伴侶ローリンを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。

スティーブの最期の言葉は次の通りです。
OH WOW. OH WOW. OH WOW  


Posted by kobokobo at 14:06Comments(0)

2011年11月30日

幸せの感性



















心が明るいから、幸せへの感性も鋭くなる。
しあわせを容易に発見するから、心がまた明るくなる、
という循環をくり返すわけである。
幸福な人とはみなそういうものなのであろう。
桜木 健古(著述家)


幸せって 当たり前の中にあると
つくづく感じます。

日々 生きる中
何に フォーカスするのかで
幸せ度 は変わります。

私は 喜びを見つける 天才です。
それは 私に 特別な才能が あった訳ではなくて

それは 私が ハッキリと 幸せを感じて生きようと
決めた時から すべては 始まったのです。


20代 恋愛でも 職場の人間関係も上手くいかず
親しい友人も 本土へ行き
相談することも 出来ずにいました とても孤独でした
自分では どうしようも出来ず
食事も喉に通らない程 苦しくて仕方がありませんでした。
仕事も 身が入らず 何に対しても
気が入らないのです
自分をどう変えていいのか どうしていいのかさえ
分からなかったのです

たまたま、会社の研修で 訪れた 「ひめゆりの塔」
ひめゆり記念館に入りました。

戦争という 時代の影響を受けて
若い 中学高校生たち

青春の明るく楽しい経験をする時期に
兵隊さんの ウジを取ったり 怪我の手当をし
命からがら 人に奉仕 献身していた
私よりも 若い女性たち

10代の女学生達の写真が並んでいました。
私は その若い女性達に 圧倒されました。
ハートにドーンと 何かがきました

悩んでいた事が とても ちっぽけに感じて
そして、恋愛で 悩めること事態が 幸せだと
ブツブツ 言わず 生きていること自体が 喜び
生きていく中 悩めること自体も喜び
とにかく 悩んでいたこと の次元が いきなりUPし

生きて何事も 経験できること自体 幸せなこと
なんだと 悟りました。

会社の研修だったので、じっくりと時間が取れなかった
こともあり、
後日、改めて ひめゆり記念館へ 独りで行きました。

それは 生かされていることを 感謝し
ちゃんと 私の 命に刻む為に

私は ゆっくりと 時間をかけて
その一人一人の顔をしっかりと見ました。

戦争という 時代の影響を受けて
若い 中学高校生たち 恋愛や私たちが普通にしている事すら
経験出来ず
青春の明るく楽しい経験をする時期に
兵隊さんの ウジを取ったり 怪我の手当をしたり
苦しんいる姿 しにゆく命を看取る・・・・毎日


生きている 自分が存在していること
生きているだけで
本当に 幸せなことを 感じて

ここから 生まれ変わって
幸せな顔をして 生きようと決めたのです。


決めるとすぐに 恋愛もリセット お別れしました
仕事も 自分が出来ることを 丁寧にやりました。
対人関係は 自分が改めることは変えました
八方美人も止めました
自分らしくして合わない人に 気をつかうことは
一切やめました

悩むことも 生きているからこそ と思ました
前向きに「どうしたら自分らしいか?」
考えて悩むくらいなら 具体的に行動する こと
やって見なきゃ 分からない になりました

幸せになる感性
それは ささやかな
生きている 喜びを 感じいきること
いま 私は 幸せです









  


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2011年11月28日

真ブル博士!もやしを育てる











昨日は、真ブル博士に夕飯で使う
もやしのヒゲとりをしてもらっていたら


すべてのヒゲを取り終わり
小さいコップに
もやしを挿し始めた



何するの?と聞いたら

もやしを育てるらしい。


今日みて、ビックリ
*・゜゜・*:.。..。.:*・'(*゜▽゜*)'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
なんと、昨日までツルツルだったもやしから

双葉が…!


ワァお!ママ、双葉出てる
すごっ?くない?


私まで、感激した。カワイ〜ぃ
すごっ〜い、
生きてるぅ

命って 素敵だぁねぇ 2人でそして、家族みんなで 感動した。


もやしで幸せを感じる

なんてステキなんだぁ
  


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2011年11月25日

真ブル昆虫記?ザリガニ記














先日、新都心のブランコへ
真ちゃんとデート


生き物の生態に 感心をよせる
ファーブルならぬ、真ブル博士

かえる、亀、昆虫類に興味を持ち 図書館から本をかりて
調べたりするほど、


ただ、見に行ったつもりが
なぜ、か?
私もハマってしまい、ザリガニと癒しの水草…水槽セット一式を購入


まぁ、そこが大人の特権、


真ブル博士は、ザリガニちゃんがきた日から、朝、起きると


ザリガニ生きてる?


大きくなってる?


脱皮してない?
\(//∇//)\まだまだ子どもさ…


彼の今日の研究は


ザリガニのからだ


写生して 大きさ形をよくみて
絵を描いている


なかなか、本質をついて?いる観察日誌に

一年生でも、観察日誌を教えもせずに書いている姿に
感心した。


好きなことをしている人は
いつみても美しい



  


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2011年10月20日

心を育む 関心の力















素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう

八木 重吉



今日は、授業で、朗読の時間がありました。好きな詩を選び みんなの前で朗読しました。

(中略)

みんなの詩の読み方を聞くと、詩の感じ方は、みんな違うんだな、と思いました。


今日の 玉ちゃんの日記です。
ハッとする内容でした。

読み方をその人の感じ方に していることに ハッとしたのです。

感じたことは その人の表現にあらわれます。
人をしっかりと見つめている姿は…本当に美しいです。

娘の 真っ直ぐなものの見方、表現に 彼女らしさを感じて静かに感動した母です。

この詩に何を感じるの?

ときいたら

うーん、とても綺麗な感じがするから

その一言に ほっこりしました。
秋ですね。



☆親自身が 何に関心を持っているのか?
これは、子育てでとても大切なポイントなんです。


親は無意識に
子供が何かをさせること
子供が何か出来ることに
関心があります。

親力セミナーでは、子供という字は、
子は、親と共に育つから「子供」と
お話しています。
だから、親も子供と 一緒に片付けをする、遊ぶ、親が一緒にするということが基本なのです。
共にするから、子供は 育つ 出来るようになるのです。


子供は、何かが出来ることよりも
親自身に 無条件に自分自身に 関心をもって欲しいのです。
例えば、気持ちを扱って欲しかったり ただ、瞳をあわせたかったり
とてもシンプルなことなのですが、
大人にとっては、出来事ややり方、言い方などに、
どうしても関心が向いてしまうのです。

ここを外すと 子供の抵抗は大きくなり
ます。


子供は親に 無条件に愛されたいのです。

子供は、真っ直ぐ無条件に親を見つめて 愛しています。

あなたの関心は、何ですか?
見つめる価値ある 関心です。





  


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2011年10月19日

自主性を伸ばす!





















先週の木曜日に

長女の玉ちゃん(5年生)から 仕事中に電話がありました。

剣道部に体験したいのだという内容、体験なので、オッケーをしました。

仕事場から学校へ直行し、学童で弟2人を連れて、ついでに、見学しました。


夜の体育館には、身の引き締まる様な 声が響き渡っていました。


私自身も心が洗われるほど 惹きつけられました。


お姉ちゃんの付き添いのはずが、弟 真ちゃん(一年生)は
目をキラキラさせて 魅入っていました。


帰る頃には、「ママ、真ちゃんもやる!」


「なんで?」

「やりたい、絶対にやりたい、あの大きな先生を倒したい」
180センチは ある体格のいい先生をみて そう言うのです。笑


おー 彼は すでに 竹刀を持っているように見えました。笑


お兄ちゃんの 平ちゃん(4年生)は、関心ないそぶり・・・
私が「やらないの?」と聞いても 返事しません。

それ以上は、あえて聞きませんでした。

なぜ、ここでしつこく「入りたんじゃない?」とか「入ったら?」
と 聞かないのかが ミソ!!なんです。

自分から 「やりたぁーい!」

と本人に言わせることが とっても大切だからなのです。
自分が決めて 自分がやりたいと思ったことは 自己責任となります。

それが ゆくゆく 大人になった時の 自主性や 
自分の信念を貫いてゆく想いの種を
今の時期に 育てているのです。

(私が講師を務める円隣企画主催のセミナーで 詳しくはお話しています。
お気に入りから 円隣HP どうぞ!)


でも、私が見て 明らかに関心ありなのです。
本人は 「関心ないよ」という態度をしていました。

平ちゃんは、日頃から、自分から これをしたい あれをしたいと
いうことを 自分から探してきたり 調べたり お願いしたりと なかなかしません。
いつも お姉ちゃんや 弟のついでに、僕も という感じです。
いつも、お姉ちゃんや弟 のやっていることを 後からついてやるという 感じ
なのです。


今 自分の気持ちや 思い 自分自身が決める 大切な時期です。
今回は 強制もせず その事も 平ちゃんに 確認せず 触れないようにしました。


お姉ちゃんと真ちゃんは、その場で 入部を決めて
しっかりと入部届け を いただき、帰宅しました。


早速、土曜日 初稽古 そして、今日 二回目の稽古へ行きました。



お兄ちゃんの平ちゃんが 今日、ようやく 真っ直ぐと
稽古を見つめていました。
明らかに、関心あり 惹きつけられています。


稽古中 私のそばに来て

ママ 僕も 剣道部に入りたい。」

私は 聞こえないふりをしました。


「ねぇ お母さん、聞いて ! 僕も剣道部に入りたいです。」

「なんで?」

「やりたいから」

「いつから そう思っていたの?」
ちょっと 聞いてみました。

「うーん、初めて 見学した日から 」

「えっ?なんで その日に 言わなかったの?」

「出来るか 悩んだ・・・・でも やっぱり!どうしても やりたい 」

「ふーん、で? 何 」 ちょっと しつこい母です。

「だから、聞いてる? 剣道 入りたいです。」

おー、いつもと違う くいついてる
あー、何も言わなくて 良かった!
と内心 思いました。
本人が 自主性を持って自分で決める ことは とても大切なことだから

「自分が やるって決めたんだ。」

「うん もちろん」

「じゃあ、頑張るんだよ」

「ありがとうございます」

おー、明らかに、させられる子供の態度ではありません
言葉遣いまで 違いました。

今までの 彼は 弟やお姉ちゃんを見ていましたが、
今回は 剣道着を着て 稽古に励む 先輩達の 姿を一心に追っていました。

三人三様

決め方 ペース 反応 それぞれ違いますが、
8才〜14才は、自分の気持ちを 真っ直ぐと 伝え 伸ばす時期
自分自身の意思を 育てる本当に大切な時期だと 感じます。

いつもはガミガミと うるさくついつい口をはさんでしまい ウザい私ですが
なるべく 口を挟まないように 我慢 ガマンです。

個性的な三人三様 の子供たちです。

子供たちを通して 私自身も 黙る 見守る練習です。笑
たくさんの経験を通して 自分らしさを見つけてね!

と 見つめる母です。














  


Posted by kobokobo at 00:52Comments(2)

2011年10月16日

開催中!人間力のしくみ













人間には、二人の自分がいます

受動性の私

そして

活動性の私



プラス思考、成功哲学、自己実現
受動性の脳で 叶えても
反応で 元の自分に戻される


なぜなら、元々、ひとは、自分自身を
どういう人間と捉えて
それを
学ぶのかを知らないからです。



プラス思考を実践しても
暗い自分だから
暗い自分がダメだから、
明るい自分になる!



否定からは、変化はありえない!



今日も 確信です。


もうちょっと

生きることを
真っ直ぐみたら
良いめで観たら



興味深くて 面白くて
みんな集中しています。
  


Posted by kobokobo at 16:49Comments(0)

2011年10月15日

親力から始まる楽しい子育て in 埼玉













スタートして
一時間半!みんなとても集中しています。


お母さんのやっていることを子供は真似ぶ
真似ぶ 学ぶの語源だそうです。


言っていることよりも
母親の行動を 子供は真似ぶ 学ぶ


子供は 一心に お母さんをみている
って わかっていましたか?


親子であっても 互いに礼儀あり


子供を躾る 前に
お母さんが 自分のことを知ること



お母さんは、もうすでに 太陽なのです。

太陽だと知りましょう。

(^o^)ケンシロウ風?





  


Posted by kobokobo at 15:20Comments(0)

2011年10月15日

親力から始まる楽しい子育て講演会!













親力から始まる楽しい子育て講演会!
in 埼玉県


これから、始まります。
オープニングのダンスを入念に
楽しい子育て講演会
主催者の 遠藤さんと一安さん



ユニークなお二人の人柄に
お手伝いに来た 方々 みんなを
てぃーだ
まさに 太陽のような笑顔にしています。

てぃーだふぁみりぃずの親力 埼玉でやってます。
  


Posted by kobokobo at 13:16Comments(0)